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高句麗語合戦 〜あれは韓国これは日本〜

202 名前:娜々志娑无@帰省中 ◆NcNEDmUA:2003/07/09(水) 00:20 ID:AUbZfjP2

(続き)
 このことと関連してもう一つ指摘しておかなくてはならないことがあります。
実は巻三五と巻三七、内容的には大体対応するのですが、よくよく見比べて
みますと、同一地名であっても漢語表記の異なるものが結構あるのです。
とりあえずアルファベットの大文字を訓読(漢語)地名、小文字を音読地名と
して表わすと、

 ・A県ハ本高句麗ノa県ナリ。(巻三五)
 ・a県{一ニ云フA}(巻三七)

のような書き方であれば、漢語地名Aも音読地名aもともに間違いなく高句麗
時代の地名であると判断出来ますが、

 ・A県ハ本高句麗ノa県ナリ。(巻三五)
 ・a県(巻三七)

だと、a県はともかくA県はもしかすると高句麗時代の地名ではない可能性が
出てきますし、

 ・A県ハ本高句麗ノa県ナリ。(巻三五)
 ・a県{一ニ云フB}(巻三七)

のような例だと、aとBが高句麗地名であることは確かめられても、Aが高句麗
時代の地名であるかどうかはかなり怪しくなってきます。李が『韓国語の形成』
において巻三五よりも巻三七の方を高句麗語の基本資料とすべきであると論じ
ていたのもそういう理由からであったことが、実際に原文を見比べてみたことで
ようやく合点が行ったという次第です。

 もう一度まとめておきますと、巻三五に登場する訓読(漢語)地名は、巻三七
の裏付けがあるものについては高句麗時代のものとして認めてまったく問題
ありませんが、巻三七の裏付けがないものについては、高句麗時代に命名され、
それが統一新羅時代にも使われ続けたものなのか、それとも統一新羅時代に
高句麗地名に新羅語語彙をあてはめたり、または高句麗地名とは一切無関係
に付けたりした地名なのか、その辺をきっちりと判別することは難しいということ
です。もし前者であれば高句麗語資料として高句麗語の音読地名と対比して
高句麗語を再構するのに使えますが、後者の場合はむしろ新羅語を再構する
資料ということになってしまうわけですね。(1)の悉直国=三陟郡などは恐らく
後者の例ということになるのでしょうが、ただそのことをしかと明言出来る証拠
がないので、李は(1)を新羅語数詞「3」の反映例として扱うことに躊躇したのだ
と思うのです。

 ともあれ、この辺の資料性の違いを考慮に入れていなかった村山七郎や
我々は、李から「資料の扱いがぞんざいニダ! 反省しる!」と批判されても
やむを得ませんな。日語商売さんもウリと一緒に反省汁を飲むニダ!(`Д´)ノ旦

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